18日 1月 2020 2020 あけましておめでとうございます。 今年も皆様のお越しをお待ちしております。 1月も半分過ぎましたが 雪が全くありません。 喜久屋から東の方角を撮影しました。 遠くに見えるのは米山です。 tagPlaceholderカテゴリ: コメントをお書きください コメント: 7 #1 N (金曜日, 31 1月 2020 18:13) 霊峰米山さんは越後富士とも呼ばれているのですか。山頂付近くらいにしか積雪の無いとは驚きの大暖冬です。海も冬らしくなく凪いでいますね。 前回の魚は綺麗で美味しそうでした。 数年前、春日山にあるお店で海鮮と山菜を頂いて、山の幸にも恵まれた上に、美しい海に沿った越後を羨ましく思いました。 長浜では粗塩や藻塩を作っていた歴史があるようでお話を聞いてみたいです。 わたしは精製されていない塩を好んでいます。 #2 大阪府 N (金曜日, 31 1月 2020 20:17) すみません。 長浜ではなく谷浜ですね。 越後国古地図に長濱とありまして、書いてしまいました。 越後国古地図は興味深いです。 #3 喜久屋 (金曜日, 31 1月 2020 21:28) 長浜も谷浜もどちらも間違いではありませんよ。 住所は長浜ですが、 ずいぶん昔、この辺りは谷浜村と呼ばれていました。そこから谷浜海水浴場と名前をつけたのでしょう。 谷浜村(地区)は今よりもう少し広い地域を指していたようです。 当時は海岸での塩作りが盛んだったようで、現在の塩作りは当時の製法を再現しています。 たまに、地元の小学校や団体を対象に、塩作り体験も開催されています。 国古地図をお持ちなのですね! ちなみに谷浜の隣、直江津の地名の由来ですが、 直江兼続がいた時代に「直江の津」と呼ばれていたそうです。現在は「の」を略して直江津と呼んでいます。 お持ちの地図には、何と書いてあるのでしょうか。 #4 喜久屋 (金曜日, 31 1月 2020 22:06) すみません。 間違いがありました。 越後富士は米山ではなく、妙高山のことでした。ブログも訂正いたしました。 失礼いたしました。 #5 大阪府 N (金曜日, 31 1月 2020 23:44) 妙高山は名前からも不思議な響きを感じます。上杉謙信公が妙高山に龍を幻視したという話を読んだ事があります。米山、妙高、共に神秘的な山ですね。 塩のお話を有難う御座います!塩田のあった頃の製法を再現ですか!機会の有ればぜひ手に入れたいです。武田信玄公に贈った塩は長濱の最高品質のものであったと読みました。 古地図では関川河口辺りに荒濱と記されています。少し時代の進んだ文献では直井の浦、直井の津とあり、直井和泉守と関係があるようです。直井がいつから直江になったかは分かりません。 長濱は長松とも呼ばれていたそうですが、きっと浜松の続く景色だったのではと想像します。 阿賀北、現在の新潟市に住む友人から、新潟市の海岸は道路のせいで松林が伐採されたと聞いています。 越後のお方とネット上ではありますがお話を伺えて大変嬉しく思います。 #6 喜久屋 (土曜日, 01 2月 2020 10:10) 詳しいお話ありがとうございます。 古地図面白いですね。 関川は地元の人たちは荒川とも呼んでいます。荒濱はそこからきたのかもしれませんね。 謙信が龍を見たのは苗名の滝でしょうか。龍神が住むと言われています。 長松、長浜・・・ここがどんな景色だったのか想像力をかき立てられます。 離れた土地の方が上越にお詳しく、歴史についてお聞きできたこと嬉しく思います。 #7 大阪府 N (月曜日, 03 2月 2020 11:24) 確認すると妙高山の龍は「なんぽいさん」起源で、書いた人はかなり縮めていたか勘違いかで、妙高山上空に龍を視たと説明していました。南方位山神事については上越市の方々はよくご存知と思います。 関川は荒川でもあるのですね。やはり地元住民を羨ましく思います。代々住んでいないと知らない事があるのは、わたしには「強み」と感じますし、それが誇りにとなります。 本日は節分。米どころであり、海幸山幸豊かな越後の巻き寿司はとても美味しいはずです! わたしは海鮮巻きが大好きです。
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N (金曜日, 31 1月 2020 18:13)
霊峰米山さんは越後富士とも呼ばれているのですか。山頂付近くらいにしか積雪の無いとは驚きの大暖冬です。海も冬らしくなく凪いでいますね。
前回の魚は綺麗で美味しそうでした。
数年前、春日山にあるお店で海鮮と山菜を頂いて、山の幸にも恵まれた上に、美しい海に沿った越後を羨ましく思いました。
長浜では粗塩や藻塩を作っていた歴史があるようでお話を聞いてみたいです。
わたしは精製されていない塩を好んでいます。
大阪府 N (金曜日, 31 1月 2020 20:17)
すみません。
長浜ではなく谷浜ですね。
越後国古地図に長濱とありまして、書いてしまいました。
越後国古地図は興味深いです。
喜久屋 (金曜日, 31 1月 2020 21:28)
長浜も谷浜もどちらも間違いではありませんよ。
住所は長浜ですが、
ずいぶん昔、この辺りは谷浜村と呼ばれていました。そこから谷浜海水浴場と名前をつけたのでしょう。
谷浜村(地区)は今よりもう少し広い地域を指していたようです。
当時は海岸での塩作りが盛んだったようで、現在の塩作りは当時の製法を再現しています。
たまに、地元の小学校や団体を対象に、塩作り体験も開催されています。
国古地図をお持ちなのですね!
ちなみに谷浜の隣、直江津の地名の由来ですが、
直江兼続がいた時代に「直江の津」と呼ばれていたそうです。現在は「の」を略して直江津と呼んでいます。
お持ちの地図には、何と書いてあるのでしょうか。
喜久屋 (金曜日, 31 1月 2020 22:06)
すみません。
間違いがありました。
越後富士は米山ではなく、妙高山のことでした。ブログも訂正いたしました。
失礼いたしました。
大阪府 N (金曜日, 31 1月 2020 23:44)
妙高山は名前からも不思議な響きを感じます。上杉謙信公が妙高山に龍を幻視したという話を読んだ事があります。米山、妙高、共に神秘的な山ですね。
塩のお話を有難う御座います!塩田のあった頃の製法を再現ですか!機会の有ればぜひ手に入れたいです。武田信玄公に贈った塩は長濱の最高品質のものであったと読みました。
古地図では関川河口辺りに荒濱と記されています。少し時代の進んだ文献では直井の浦、直井の津とあり、直井和泉守と関係があるようです。直井がいつから直江になったかは分かりません。
長濱は長松とも呼ばれていたそうですが、きっと浜松の続く景色だったのではと想像します。
阿賀北、現在の新潟市に住む友人から、新潟市の海岸は道路のせいで松林が伐採されたと聞いています。
越後のお方とネット上ではありますがお話を伺えて大変嬉しく思います。
喜久屋 (土曜日, 01 2月 2020 10:10)
詳しいお話ありがとうございます。
古地図面白いですね。
関川は地元の人たちは荒川とも呼んでいます。荒濱はそこからきたのかもしれませんね。
謙信が龍を見たのは苗名の滝でしょうか。龍神が住むと言われています。
長松、長浜・・・ここがどんな景色だったのか想像力をかき立てられます。
離れた土地の方が上越にお詳しく、歴史についてお聞きできたこと嬉しく思います。
大阪府 N (月曜日, 03 2月 2020 11:24)
確認すると妙高山の龍は「なんぽいさん」起源で、書いた人はかなり縮めていたか勘違いかで、妙高山上空に龍を視たと説明していました。南方位山神事については上越市の方々はよくご存知と思います。
関川は荒川でもあるのですね。やはり地元住民を羨ましく思います。代々住んでいないと知らない事があるのは、わたしには「強み」と感じますし、それが誇りにとなります。
本日は節分。米どころであり、海幸山幸豊かな越後の巻き寿司はとても美味しいはずです!
わたしは海鮮巻きが大好きです。